心の煌めき

自分探し?の手段になれば

命が有って。

東日本大地震から10年です。あの日、私は大阪市内の百貨店の最上階に近い階に居て、いきなり酷い横揺れが有り、館内放送とかもあり、一時その階に居た人達みんな騒然として、エスカレーターで階下へ急いで降りようとしてたりとか、バタバタしましたが、数分で平常に戻りました。でも、びっくりしたのは、下の方の階では全く揺れを感じなかった様で、私の中では、?と思いながら、その日買い物を続けていました。そうしていて、1時間以上経った頃だったかテレビ画面のある所に人が立ち止まっていたり、周囲からの話し声が漏れ聴こえてるのを聞いていると東北、地震、というザワザワした先程の揺れを言ってるんだなぁと判るんですが、家に帰ってから情報を得るまで、まさかあれ程の事が起こっていたなんて。それと、震源地が大阪から遥かに離れた東北だったなんて。

10年経った現在、当時  街の中心部だった所に高さ14メートルの建物がただ1つが残るのみでその建物の屋上の排気口?の1人がやっと座っていれる僅かな最上箇所に上って、写真に写る男性が足元数センチに迫る津波から逃れて、当時の数日前に生まれた娘さん(奥さんの実家に居て無事)現在10歳になる  と。

津波にのまれて、彼らの親兄弟は全て眼下にあった避難場所とされていた会館にいて亡くなられたそうです。

その写真に写る建物は、当時の地震の悲惨さを語る物として10年間、自治体の解体の勧めをする事なく自費で守ってきたというのですが、国が負の遺産として、それらは残していくべきではないのかと思いました。


階段で上っているのは、現在は10メートルほどの嵩上げをして、現在の階段の下の平地には生活区域にはなってないので、象徴的な瓦礫となった14mほどの高さのビルのみが残されている